ベルリンにある宮殿、シャルロッテンブルク宮殿とシュロスパーク

こんにちは、チャコです。
私が住んでいるところの近くには、お城がある。
そして、そのお城の裏庭、シュロスパークというのが、ものすごく手入れが行き届いていて、まるでテーマパークのように綺麗に剪定されている。

このお城の元持ち主は、ゾフィーシャルロッテ(ソフィー シャルロッテ)という、王女様。(Wikiからの写真)

出生: 1668年10月30日 バート・イブルク城
死去:1705年2月1日 ハノーファー
配偶者:プロイセン王フリードリヒ1世(1684-1705年)
子供:プロイセン公フリードリヒ・ウィリアム1世、ブランデンブルク公フリードリヒ・アウグスツ、ホーエンツォレルン公無名子
両親:ハノーファー家のソフィア、ハノーファー選帝侯のエルネスト・アウグストゥス
兄弟姉妹:イギリス王ジョージ1世

ソフィー・シャルロットはプロイセンの初代女王様。
彼女はシャルロッテンブルク宮殿とベルリンの行政区、シャルロッテンブルク区の名前の由来にまでなっている、超セレブ。

宮殿内は、ソフィー・シャーロットや夫のフレデリック・Iなど、写真の中の家族の姿を知ることができます。ソフィー・シャルロットとその家族について、宮殿内のわくわくするようなものを探しに行きます。たとえば、女王と王がどのように暮らしていたか、何をして過ごしていたか、何を集めていたか、どのように描かれていたか、などです。

シャルロッテンブルク旧宮殿を知り、壮麗なバロック様式の部屋を、見学できます。

この人が、彼女の夫、プロイセンのフリードリヒ1世。
Friedrich I. in Preußen
“der schiefe Fritz(曲がったフリッツ)”「曲がったフリッツ」と呼ばれた。
支配者として特にお世辞にも良い名前とは言えないのはなぜか。

ブランデンブルク家のフリードリヒ3世は、1657年7月11日、ケーニヒスベルクで誕生した。父は大選帝侯フリードリヒ・ウィリアム、母はオレンジ家のルイーゼ・アンリエットである。母親は不幸にも早くに亡くなり、父親との関係も特に良いとは言えなかった。当初、彼は王位継承者になるはずではなかった。

病弱だった彼は、大きな事故に遭い、猫背になってしまった。だから、der schiefe Fritz 曲者フリッツ」とも呼ばれた。しかし、父の最初の結婚から最後に生き残った息子であったため、1688年の父の死後は摂政を引き継いだ。

フリードリヒは、ブルンスウィック=ハノーファー家のソフィー・シャルロッテと結婚したが、この女性は非常に教養があり、何よりも国内の芸術と科学の発展を促進し、哲学者ヴィルヘルム・ライプニッツと親交があった。

中はこういう感じ。

コメントを残す